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知の競争だけでは味気ない

「知の競争」に勝つにはドラッカーを読んでいるヒマはない。経営は科学でなければならない。

ドラッカーは名言かもしれないが科学的な裏打ちがない。だから経営学者は参考にしない。のだそうです。

なぜ赤字なのか、経営学者なら、というよりは他人ならだれでもすぐにわかります。挨拶もろくにできない、在庫の管理がなっていない、社員になめられている。放漫経営だ。自分のことは置いといて他人のことは良く見えます。

そしてコンサルタント(経営学者?)からは、大きな声であいさつしなさい、経営者ならしっかりしなさい、そして「こうしたら成功する、」そんなアドバイスが返ってきます。そんなことわかり切っています。

そう言われて「なるほど、そうか、じゃあそうしよう。」と、その通りに動ける経営者はそもそもアドバイスなんか必要とはしません。自分で行動できます。でも、多くの中小企業経営者にはわかっていてそれができない、一歩が踏み出せずに悩んでいます。それが現実です。創業社長も二代目社長も実際、動けなくて悩んでいる姿を幾度となく見てきました。

シャッター通りの商店街の経営者に勉強不足だ、経営の勉強をする意識がない、と片づけるのは簡単です。でもなぜ勉強する意識がわかないのか、それは経営学者の話の中にはありません。そうなってしまったのはあなたのせい、自業自得なのです。そんな返事しか返ってきません。

 

先代が急死し、社長にはなったものの、それは自分にとっては苦痛以外の何物でもないと感じている二代目もいます。先代の取り巻きは言うことを聞きません。何もせず、足を引っ張るだけです。業績は目に見えて悪化していきます。

もうこれ以上事業を続けても赤字が増えるだけだ。私財もだいぶ投じてしまった。今ならまだ自分一人でも家族を養える。会社をたたもう、そう決断したとします。当然社員からは辛辣な攻撃を受けます。それは我慢できても、身内から、特にお母さんから「あんた、それでいいの、せっかくここまで大きくしたのに、何か考えれば解決策はあるはずよ、」と言われると挫けてしまいます。

今までうまくいかなかった人が、これから根性を入れ替えて明日から頑張る、そう言って会社を立て直した経営者を私は見たことがありません。

思い切って会社をたたむのも1つの解決方です。それができず、自分の役員報酬や社員の給与を下げ、何となく景気が良くなることを期待して問題を先送りする。そうなると行き着く先は明らかです。どうにもならないところまで追いつめられてしまいます。そこまで行かないとやめられません。そしてその時は本当に何もかもなくしてしまいます。

 

「数字は結果です。正直です。黒字の会社は挨拶がちゃんとできて、赤字の会社は挨拶もろくにできません。」そう言って赤字の会社の問題点を指摘するのは簡単です。でも、それは枝葉末節の問題で、それを1つ解決したところでその奥に潜んでいる本当の問題を解決しない限り新たな問題が発生し、日々その解決に忙殺されてしまいます。何をしたのか分からず疲れ果てて一日が暮れていきます。

言い換えると訳もわからず我慢している状態です。明日どうなるか分からない状態が続くと人間どこかで爆発するか、あるいはうつになってしまいます。

我慢でなく忍耐でなければいけません。忍耐とは現状を認めることができるから耐えられる。という意味です。この問題を解決すれば明日はこうなる、それが見えればどんな問題にも前向きに対処できるはずです。

そして本当の問題が解決できれば、枝葉末節の問題は自然ときれいにいつの間にか消えてしまいます。

では本当の問題とは何でしょう。それが「情」ではないかと思うのです。

 

私は昭和の終わり頃まで帳簿は手で記帳していました。実はこの手書きの帳簿の中に「情」がたくさん含まれていたのです。

その頃のことでよく思い出すことがあります。会社を興して最初の借金をした時、借入金の帳簿の余白に社長は「妹が保証人になってくれた。」と書き込みました。社長にしてみれば会社勤めの妹がよく保証人になってくれた、田舎から出てきて頼れる人もいない中、ありがたい、素直にそう思ったことを書かずにはいられなかったのだと思います。

でも、それに対する税務署の調査はあまりいただけませんでした。

税務調査の時、調査官は交際費の中身だけを見て「何で妹に3,000円のお中元を贈るんだ、」と指摘してきました。

それを聞いた途端、社長は烈火のごとく怒り出しました。「3,000円で500万の保証人になってくれるやつがどこにいるんだ、そんな情も何もない調査なんかするな、」と。税務署の方もむっとして午前中で帰ってしまい、調査もうやむや終わってしまったことを思い出します。これが「情」を感じた最初です。

得意先元帳も「情」報があふれていました。創立記念日、社長の趣味や誕生日、何をもらった等々直接関係のないことが余白に書いてありました。

でも、それが今のコンピュータの帳簿には一切ありません。

その後帳簿はコンピュータで処理するようになりましたが、初期のシステムでは摘要欄の記入もままならない、記入できてもカタカナ数文字、言ってみれば集計だけのマシーンとしてしか機能していませんでした。

摘要欄に漢字が記入できるようになるまで、また、画面で元帳が確認できるまで10年はブランクがあったと思います。摘要欄が無視されてしまったことでこの「情」が完全に消えてしまいました。

 

中小企業の帳簿にはこの「情」を復活させなければいけない、加えていかなければいけない、この頃つくづくそう思うのです。

中小企業だからこそ、帳簿を見ることがとても楽しくなる、ただ単に集計された試算表からはわからない本当の数字が見える帳簿を手にしなければいけないのです。

実は税理士の試験には流動比率とか資金繰りといった勉強は出てきません。知らなくても税理士の試験には合格できます。直接勉強しなくても日々の数字を積み上げていくことで、帳簿を付けていくことで自然にそれらの意味がわかってくるのです。

帳簿がつけられるようなれると、なるほど、これだけお金がなければいけないんだ、が分かってきます。流動比率や資金繰りの勉強は、先ではなく、後なんです。

パソコンで「情」のある帳簿を作る、が私の事務所の課題です。

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