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「こうじゃなきゃいけない」を捨ててみる。

「私が正しい、お前が間違っている。」と話を聞いてもらえません。

昭和の時代、帳簿はつけペン(万年筆)で記帳していました。間違った時は二重線で訂正し、正しい数字を余白に記入します。ですから何をどう間違えたか一目瞭然です。

時々、帳簿とはそういうものだ、そうじゃなきゃいけないんだ、と言う人に出くわします。そうなると話がややこしくなってしまいます。

パソコンでこれをやろうとすると間違った仕訳の反対仕訳と、正しい仕訳が必要になります。つまり、

①    間違ったデータ、

②    それを消すためのデータ、

③    そして正しいデータ、
この3つが帳簿に残ってしまいます。

給与200万を2,000万と入力してしまったとします。そうすると、試算表には借方2,200万、貸方2,000万、と表示されてしまいます。手書きの時でも試算表を作成する時は借方200万です。見栄えがとっても悪くなるのと、いらないデータのおかげでわかりづらくなってしまいます。

売掛金が736円引かれて振り込まれた。735円ならわかるが、1円間違っている。1円は雑損失だ、と言われたこともあります。これでは全体が見えません。あらを探すことに夢中になってしまい、経理は疲弊してしまいます。

パソコンの普及で仕事のし方が根本から変わりました。

どう処理していいかわからない支出はとりあえず「仮払金」で登録し、先に進みます。摘要欄にその内容を書いて次に進めば現預金の残高は遅滞なく常に合わせておくことができます。仕事が先に進みます。

分からないところは会計事務所に聞くとか、調べた後「仮払金」の科目自体を訂正します。

それが経費なのはわかっているんだけど何費で処理したらいいかわからない支出は「雑費」で処理してしまいます。毎月チェックさせていただくのですが、その時に他の科目が適正な時はその時に直します。

でも、ほとんどが年に数回、それも金額が少額な場合がほとんどなので、「雑費」のままでまず問題はありません。

ただ、「返ってこないかもしれない貸した金」は、まだ経費ではありません。

これで常に現預金の残高が確認できるようになります。利益も見えてきます。

「そんなやり方は聞いたこともない、」と怒られたこともあります。その通りなのですが、経理の負担はとても軽くなります。理屈が先にくる社長さんにはなかなか受け入れてもらえません。

この方法で30年やってきた。これからも変えるつもりはない、ではなく、もう少し顧客の対象を絞った経営をしてみようとか、仕事の流れを変えてみよう、そう思えると新しい発想が生まれます。

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「だから言ったでしょ」は放っておきましょう。

何か新しいことをはじめようとする時、「失敗したらどうするんだ、誰が責任を取るんだ、」必ずそう言う人が出てきます。

そしてうまくいかなかった時「だから言ったじゃないか」と。

「だから言ったじゃないか」そう言っている本人は実は何も動けません。変化が怖いのです。いつも頭の中だけで考えているから堂々巡りで終わってしまうのです。会社を興そうとする時、実は奥様がそうなりかねません。

今日までは安定していた、でもこの安定がこれからも続く保証はない。世の中は常に変化しています。

会社を興せば一時は苦しいかもしれないけど、その苦しさの中で新しいものを築きあげていくからこそ達成感を感じることができる。みんなそういう風に挑戦してきたんだ、一緒に頑張ろう、

そう語れれば奥様もついてきてくれます。内助の功はとても大きいのです。

でも、現実は必死に働いても軌道に乗るまでには5年、10年あるいはそれ以上かかるかもしれません。失敗する事の方が多いのも事実です。失敗も覚悟の上でなければ起業などできません。

ただ、今の時代ほど起業しやすい環境はない、とも思います。頑張っていると誰かがいつの間にか助けてくれる、そんな環境が日本にはあります。

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動けなくなる前に引退を。

高度成長期を経験した社長さんは、苦労もしたでしょうが、いい思いもしています。金も持っています。

定食屋さんのおやじさんは「不況の時は何もするな。そのうち必ず景気が良くなる。変なことをせずじっとしていればいい、」

が信条でした。でも、店舗を改装しようとすると不況です。結局、何も変わりません。

80を過ぎても淡々と日々を過ごし、昔の方法で帳簿をつけています。

社長も、そして50になった息子もこの日常がずっとそのまま続くと思っているのですが、売上はじり貧です。過去のたくわえを食いつぶしたら終わりです。80では帳簿も間違いだらけです。そのことも十分わかっているのですが、でも動けません。

お店には雉のはく製、傾いた配膳机、手書きの色あせたお品書き、カウンターには納品書や領収書の山、

少し片づけるだけで雰囲気はガラッと変わります。お昼時、お客さんがご飯を食べている横でレジのおばさんがパチパチと爪を切っていました。二度と行きたくなくなります。

活気のない会社も同じです。一度物の置き場所が決まると二度と動かなくなります。使われなくなったものがそのままそこに佇んで静かに朽ち果てるのを待っているかのようです。

借入金の返済予定表を綴じたファイルは、パンパンに膨れ上がっていました。20年前から使い続けたバインダーはボロボロで、その中には20年分の借金の歴史がコーヒーのシミとともに綴られています。実際に今借りてるのは2件、そんなもんです。きれいに綴じなおそうなどと思う人はいません。

そして社員同士のつながりも希薄で、みんな一日が静かに過ぎ去るのを待っています。

死語に近いワープロ、年代物の椅子、文房具の分厚いカタログが歴史を刻むように何冊も並んでいる書棚、それは見るからに圧巻です。でも、いりません。

机の位置を少し変えてみる、整理をする、捨てる、買い替える、何かをしようと想像することはとても楽しいことと思うのですが、想像しようとする人、というよりはできる人がいません。一緒に整理しましょう、と言って一時はその気になっても半年もするとまたもとに戻ってしまいます。面倒くさい、の一言で終わりです。

何となく40年、50年やってきた。みんな年を取った。やる気のある奴はとっくに独立した。静かに年金がもらえる年を待つ人だけが残ります。

 

 

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考えているようで何も考えていない。

「新規事業を考え、今こういうチャレンジをしています。今までにない、とっても画期的なすばらしい商品です。必ず売れます。半年もすれば軌道に乗って今期はこんなに利益が出ますよ、まあ、見ていて下さい。」

会うたびにそんな話を聞かされます。

でも、そうなったためしがありません。

次に会った時には、「ああ、あれですか、あれはダメです。今はこれです。」

周りの意見など聞く耳を持ちません。社長は頭の中だけで考えているからそうなってしまいます。

儲けてベンツでも買う夢を見ているのでしょうか。結局は自分だけが得する事ばかりを考えて、自分中心でしか物事を見ていないからちゃんとした判断ができません。

その場の思いつき、何かの聞きかじりでこんなにすごいことはない、と思い込んでしまいます。でもそんなにすごいことなら、既に誰かがやっています。

何とかしたい、と思う問題を常日頃から一所懸命考えているからひらめくんです。

聞きかじりでは上手くいくはずありません。

そして自然に無理なく考えていれば、つまずいても次の一手を考えつくはずです。

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過干渉は危険です。

「俺ももう年だ。会社は息子に任せた。」そんな話をよく耳にします。でも実際はだいぶ違います。いざとなると「こんな売上でどうするんだ、だから言わんこっちゃない、そうじゃないだろ、何だそのやり方は、」横で聞いていてもうんざりしてしまいます。

2代目にはこんな風にお話ししています。

思い切って社員の皆さんに宣言しなさい。

「今日から私が社長だ。すべて私が決める。どんなにいい案件でも私を通さず、直接「先代」に持っていった話は俺が必ず全部つぶす、」と

先代は20代で起業し、苦労の連続だったはずです。そんなおやじから見たら息子は、危なっかしくて見ていられないのもわかります。でもいつかはその時が来ます。早い段階で小さな失敗を経験させることが大切です。

自分が病に倒れ、息子が50代で後を継ぐことになったとこのことを考えてみて下さい。

息子は今まで自分で決断し実行した、という経験がありません。あの時自分はこうしたかったけどおやじは別の方法を選択した。そのことが果たして正しかったのかどうか。実践を経験していれば本で読んだ知識の何倍も大きな印象として残ります。次に活かせます。

50を過ぎてから経験を、となるとたいへんです。取り巻きは結構な年の人ばかりで、新たなことに挑もうとはしません。それをはねのけてチャレンジするにはパワーが必要です。

それができるのは40代まででしょうか。年をとっても新たなことに挑戦できる人もいます。でも、そんな人はとっくに自分で始めています。

ジッと失敗するのを見てるのはつらいでしょうが、あえて何もせず、見守ってあげる。

失敗したら、「それ見たことか、」ではなく「次に生かせ、」と言ってあげてください。

会社をたたんだ婿養子の社長が、最後にこんな話をしてくれました。

「俺も若い頃は色々トライしようとした。でも、そのたびに嫁と姑が失敗したらどうするの、とことごとく反対された。そしていつの間にか何も考えなくなった。」

過干渉はダメです。過保護のほうがまだいいかと。

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オンリーワンは、そんなに難しいことではないような気がします

経営コンサルタントからはよく「これからは他の会社にない何かオンリーワンの武器を持たなければいけません。」そんなお話を聞きます。コンサルタントの言うオンリーワンとは誰もマネできない技術力だと言うのですが、そんなものが簡単に見つかるとは思えません。

近所のお母さんがピザ屋さんを始めました。

あのお母さんが作ってくれるピザ、競合する他のピザ屋さんとどこが違うのっていわれてもそんなに味が変わる訳でもありません。でも、あのお母さんが作ってくれる、そこに意味があります。それだけで安心して、楽しみにして、そのお店に通えます。お母さん自身がオンリーワンなのです。

チェーン店には店長さんの写真が飾ってあっても、だれもどんな人か知りません。「町会に入りませんか?」と聞きに行っても「本部に聞いてくれ」としか答えてくれません。

カウンター越しに会話を楽しみながら地元に住んでいるお母さんがレシピの解説をしてくれる。

忙しい時は客が自分で生ビールをついで伝票をつける。これ以上のオンリーワンはありません。

金型屋のおやじさんは、親会社の金型の設計図にいちゃもんをつけるのが大好きです。

「こんな設計するから金型が3つも必要になるんだ、ここを変えろ、それだけで1個で済む。」

最初は親会社も離れていきました。その通りに金型を作ってくれるところがいくらでもあるからです。

でも3個使うことで歩留りが悪くなり、時間もコストも上がってしまいます。

1年もすると仕事が戻ってきました。今では出来上がった設計図を最初にチェックしてくれと頼みにきます。

設計図通りに作るスキルは皆同じです。でもその先のイメージを膨らませることができるか、もっといい製品を作ろうとするその気持ちがオンリーワンにつながります。

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他社と比較しない

隣が建てた賃貸マンションが気になって気になって仕方がありません。

「それなりにできている。だけど外壁は安っぽいしエントランスも貧弱だ、デザインも今一だ、何よりも先を越されたことが悔しい!

そして、とにかく隣よりもいいものを、と、それは立派なマンションが建ちました。でも、どう見ても周りから浮いています。分譲マンションのようなエントランスは賃貸マンションには似合いません。

家賃も結構いいお値段になってしまい、入居できる人は限られてしまいました。そのくらい出すならもっと都心のいいところに住みたい、そう思うのが心情です。

あそこの製品はここが悪い、デザインも今一だ。あの社長の話には中味がない、社員もろくなやつがいない、と他社のことはけちょんけちょんです。でも、自分の会社のことはなかなか見えてきません。

隣に勝った、ではいつか負けます。他社と比較することも大切でしょう。でも常に比較していると不安になってしまいます。

まず、自分の技術力、強味は何なのか、それを理解し、他と競合するのでなく自分のペースでそれを磨いていけばいいのです。他人の目は気にせず自分はどうする、純粋にいいものを追及する、提供していく、それが自信につながります。

たとえ勝ったとしても次も勝たなければと思うと疲れ果ててしまいます。

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損をした、などと思ったらばちがあたります。

お祭りで私はいつも駐輪場の担当です。ご苦労様、と声をかけてくれるのは稀で、ほとんどは駐輪場が会場から遠いとか、わかりずらい、すぐ帰るから入口に近いところに置かせろ、近所からは邪魔だ、うるさい、そういった苦情ばかりです。最初は「はい、はい」と聞き流せていてもだんだん腹がたってきます。

会社でも上手くいっていたのに不渡りを食らった、損失が出た、となると心穏やに、という訳にはいきません。

町会の人からは「たいへんね」と言われれば少しは報われますが「貧乏くじを引いたね、」と言われるとへこみます。そして手伝ってくれる人はいません。でもたまに差入をしてくれたりします。恨んだりしたら罰が当たります。

会社を経営していれば何でうちなんだ、と思うことも多々あるし、嫌な役を引き受けなければならない時もあります。でも貧乏くじを引いたなどと思わず、とりあえず楽しんでやってみよう、そう思えると楽になります。

本音を言えばなかなかその境地にはなれませんが。

最初の開発は成功した、でも次は何千万もかけたのに物にならなかった。イライラします。

成功は、失敗の繰り返しがあったからだ。失敗もまあいいか、いい経験をした、そう思えると気持ちが楽になります。ただ、現実には2回目はない、そう思ったほうがいいかもしれません。

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鍋奉行の話は面白い

鍋奉行がいるように、町会にはトン汁奉行、カレー奉行、もちつき名人、その道に長けた人がいっぱいいます。

焼きそばの隠し味がコンソメだって知った時は感動しました。餃子も、串カツもあります。

その人たちの話を聞いているだけで実は幸せになれます。

1月の防災訓練の時トン汁の係でした。トン汁奉行から渡されたレシピには、何秒後に何をする、図まで入って4、5ページ事細かに解説されてました。ノートだったのでレシピをもらえなかったことが残念です。

町会には災害が起きた時の為に炊き出し用の「簡易かまど」、っていうものが用意されているんです。そんなこと誰も知らないでしょうが、町会費はちゃんと皆様の為に使われています。

まず、火を興します。実はこの時の木端はお正月に地元の神社に納められた「お札」です。それだけでとってもご利益のある、トン汁に思えてきます。

トン汁奉行のすごいところは、そのレシピにとらわれることがないことなんです。

何とか奉行というと、小うるさくて、周りは何も手出しができない、そんな光景が思い浮かぶと思うのですが、彼は違います。私たちに任せてくれます。

具を入れる順番を間違えても「ま、いいか」で終わりです。

レシピは「トン汁奉行」としての名誉の為、だそうで、災害時、なにが揃うかわかりません。ありあわせの具材で対応しなければならない訳で、味よりも実、腹を満たすことが先決です。

こうでなければいけない、ではなくて、「いい加減」が大切だ、と教わりました。「まあ、大体そんなところでしょう」がいい、それが大切です。「いい加減」の「いい、」とは、「ちょうどいい」のことです。

そして何よりも防災訓練は、地元の絆を深めることが本当の目的です。こうでなければいけない、ではぎすぎすしてしまいます。

いざという時は彼が全てやってくれます。そして防災訓練の時以上の味付けをして私たちを勇気づけてくれるはずです。

 

ちなみにうちの町会は16の班に分かれていています。そして役員は各自4~5班のとりまとめ役「組長」でもあります。

組長は災害が発生した時、まず自分の安全を確保し、その後担当の班を回り、皆さんの安否を確認します。うまくいくかどうか、試す機会がないことを祈ります。

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指示するのではなく、指示される仕事をしてみる

定年を迎えて町会のお仕事にかかわってくれる方が時々いらっしゃいます。でも、うまくいきません。町会の盆踊りでは、いっぱいご寄付をしてくれるのですが、盆踊りの櫓を飾りつけとかには参加してくれません。腕を組んで見ているだけです。見てるだけならまだいいのですが、そのうち、「こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」と言いだし、その次には「ああしろ、」と命令口調になり、最後は「段取りが悪い」と文句を言い出してしまいます。

会社に務めていた頃は部下がいてとても偉かったのでしょうが、町の皆さんは部下ではありません。

櫓は年に1回の行事で、みんな忘れています。去年はどうだったっけと、わいわいやるのが楽しみなのです。

まず言う前に何も考えずに動いてみる。そのあとみんなとビールを飲む。たとえそれが発泡酒であっても、それだけで日頃の何倍もうまく感じるはずです。

ついでに、運動不足も痛感します。退職後、孤独にならない為にも地域とのつながりは大切です。

ボーイスカウトの基本は「はい、喜んで」だそうです。町会の役員さん達は、町の皆さんに何かをお願いする時、とても気を使っています。高齢化でだいぶくたびれてもいます。

お願いされたらとりあえず「はい、喜んで」と手伝ってみて下さい。